1、なぜ旅に出るのか。
(写真は「トパーズ号(31,500トン」)
 
船上で聞いた講座で一番印象に残ったのは、「人間は一ヶ所にとどまると精神が腐る」というジプシーのことばである。この講座の講師朝日新聞記者伊藤千尋氏が若き日ジプシーを追って旅をして
「定住を捨てて、どうして苦しい旅を選ぶのか」と執拗に問いかけて得た回答であるという。その言葉によって私の今回の旅の意味を再確認することができた。

 もう一つ私には3ヶ月の旅には耐えられないのでないかという自分の弱気への問い直しがあった。主治医と船医との折衝の末OKが出た。乗船してみると私より多病高齢の人がたくさん乗っていて、その人々は私よりもはるかに活力に満ちていた。そういう人々に励まされて、一歩前へ自分を押し出すことができた。

2、國際交流の船 写真は国連本部での会議」)   

私が乗ったピースボートが出している船は元来若者の国際交流を目指して始められたものという。ところが近年観光目的の高齢者が乗り始めて、今では若者と高齢者が半々になっている。私も観光組の一人であるが、一つだけ国際交流コースに参加した。ニューヨークの国連本部を訪問して、世界平和のためのアッピールを提案する会議であった。このピースボートと国連の会議には国連事務次長が出席した。




、寄港地

615日神戸港出港→那覇→ベトナム→アンコール遺跡群→シンガポール→インド→ケニア→スエズ運河通過→ポートサイド→キプロス→アテネ→ローマ→スペイン→ポルトガル→ニューヨーク→ジャマイカ→パナマ運河通過→コスタリカ→メキシコ→カナダ→アラスカ→918日神戸帰港。

4、テロ、SARS、沖縄(写真は「沖縄守礼門」)

 ちょうどこのクルーズが募集されていたころ、世界はテロとSARSに揺れていて、出港が危ぶまれていた。私たち夫婦は船が出てスエズ運河を通る限り参加することに決めていた。イラク戦争は意外に早く収束したが、SARSの猛威は一向に収まる気配がなかった。その影響で、寄港地上海が沖縄に変わった。地球一周クルーズの国内寄航は初めてのことだという。沖縄の歌「島人ぬ宝」が出港曲に選ばれ、各寄港地の出港時に演奏された。





5、アンコール遺跡(カンボジア)
(写真左は「アンコールトム」右は「タプロン」)

カンボジアは貧しく夜も電灯を灯さず暗がりの中で暮らしていた。しかし、シェムリアップのアンコール遺跡群はその文明度の高さにおいて世界屈指である。ジャングルの中至る所に遺跡は散在し、アンコールワットはいうまでもなく、アンコールトムの仏塔の優美さは感嘆の他なかった。ガジュマルの木にからめとられて、もう手の施しようもないタプロン遺跡の、自然と文化の融合した姿にも見飽きることがなかった。

 
6、コーチン(インド)(写真はインドケーララ州の伝統舞踏劇「カタカリ」
南インドのケーララ州コーチンは明るく開けた海洋都市である。ここでボートツアーをして、チャイニーズフィッシングネットという、海岸に据え付けて人手だけで魚を採る仕掛けを見た。この悠長な手動装置に多くの人が立ち働いていた。いかにもインド的風景であった。

ケーララの伝統舞踊劇カタカリを見た。男性だけで演ずる舞踏劇はその隈取も舞踏様式も歌舞伎に似ていたが、表情と手のしぐさが繊細多様で、歌舞伎をしのぐ豊かな表現力を持っていた。




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ふたたび世界一周の旅ー短文編