1ページ
初めてのヨーロッパ(ドイツ・スイス・フランス他)

1、ものぐさ太郎の旅立ち
  フランスに行きたしと思へど
  フランスはあまりに遠し
と萩原朔太郎は歌ったけど、私は「フランスに行きたし」とは少しも思わず、そんな遠いところへはできることなら行かずにすましたいと思っていた。私は怠け者で、どうしてそんなにしんどい目をして外国へなど行くのか理解出来なかったのである。自分の家でごろ寝をしているのが一番好きな生活スタイルだった。ともかく誰も彼も外国へ出掛けて行く時代だからこそ、私は自分のライフスタイルに拘って生きてみたかったのだ。ところが妻が旅が好きで、私は彼女に連れられてすでに国内のあちこちを旅行していた。彼女の旅への執念が私の怠惰を少しづつ突き崩していたのである。外堀は埋められていたのである。気がついてみると、海外旅行と国内旅行の枠組みはもうとっくに崩れ去っていた。外国旅行拒否症はすっかり時代遅れのビョウキになっていた。私もついに観念してなるべく短い旅程でという条件闘争に転換した。しかし、何回も行ける訳ではないので、できるだけ多くの国の多くの観光ポイントを見てきたいという彼女の合理性に対抗することは困難であった。情熱と怠惰がぶつかればどうなるか、私にもやっと分かった。こうしてヨーロッパ旅行の入門編とでも言うべき「ヨーロッパ・バカンスツアー6ヶ国12日の旅」という某旅行社のパックツアーが選ばれた。最小催行人員15名の募集に集まって見ると関東を主力とする44名の大部隊となっていた。世代はばらついているが、定年直後という人が多い。中には今日が大安だからと縁起を担いで今日出発のツアーを選んだ人もいて、こういう古風な日本人とヨーロッパを回るのも悪くない気がした。こうして私はヨーロッパ旅行の途についたのだが、時に「牛に引かれて善光寺参り」という諺を思い出したりした。「いやいや連れられて来たふりをして結構楽しんでいるんだから、卑怯や」という彼女のコメントはピシャリと的を射当てていた。私には軽い心臓病があって、それが長い旅を拒む根拠になっていた。しかし旅行中私はおおむね元気で、「それ、やれば出来るじゃないの」とか言われて、手術待ちの体だからという護符は今後効力を失うかもしれない。

2、シベリア大陸 (写真はシベリア上空の雲)

 成田空港から飛び立った飛行機は日本海を飛び越えてシベリア大陸上空を飛行する。気がつくと、下界は無人の陸地が続いていた。どうもシベリア・ツンドラ地帯にさしかかったらしい。それからは行けども行けども薄緑の原野と川と湖だけ、無人の世界の広がりだけだ。なんという馬鹿々々しいまでのだだっ広さ、私は手付かずの自然がこのように広大に残っていることに仰天した。日本のどんなに山奥に行っても人家のとぎれることない風景を見慣れている目には、この無限の広野と川と湖水だけの自然は初めて見る地球の姿だった。旅行前私は散々飛行機の中の時間の退屈を聞かされてその対策を伝授されてきたが、退屈どころか、私はこのような新しい自然の相、地球の未知の物語に魂を揺すられて感動の渦の中で時を忘れて過ごした。なんという大きな自然であることか。もし私がこの自然の中に投げ込まれたら、絶対に生還不能であろう。このような人間の生存を許さない自然が原形のまま残されているという発見に私は深い衝撃を受ける。私が今まで見たこともないもののスケールが私の枠組みを壊していく快い衝撃である。薄緑の原野を川は蛇行して地の果てに消える。川は次々に現れては消える。

冬は一面の白銀の世界であるというシベリア大陸も今は夏で、薄っすらと緑の草原が地表を覆っている。やがて直線が現れる。かぼそい線が大地にかすかな傷跡を残している。自然には決して存在しない線、道だ。曲線で構成された自然を真っ直ぐに突っ切る人間の意志の健気さ。なんといういじらしい人間の営みよ。なんという初々しい懸命なかすり傷であることよ。文明はこんな風に始まったのだ。それが消え、また延々と広がる草原と川と湖水の世界。それが描き出す模様は決して同じ図柄はなく、千変万化して見飽きることがない。やがてまた直線が現れる。私は直線がほぼ一時間に一本の割合で現れることに気付いた。この飛行機は時速1000キロのフライトを続けているとすると、道は1000キロに一本ということになる。私はロシアのシベリア開発の現状を知らない。これはあくまで高度1000メートルの私の肉眼が捕らえた観念の虚妄に過ぎまい。多分私は肉眼という名の観念の幻影を見続けているに過ぎない。雲が一面に地表を覆い、雲の切れ目から青い大地が透けて見える。空のような大地、今私は地表に立って空を見上げているのではないかという錯覚に襲われる。雲が次第に厚くなり、ついに空が見えなくなる。私はもうどこにいるのか分からなくなる。
 
やがて雲が切れて、巨大な川の蛇行が現れ、その岸辺に人家が現れる。集落、戸数数十の小村だ。道のそばに幅広の直線が現れる。道の何倍もある。私が地図を示して今どこを飛行中かとしつこく聞いたパーサーがあれは道ではなく、山火事を食い止める防火溝だと教えてくれる。こうして文明が始まる。ウラル山脈?を超えて西へ行くに従って、道路の出現の頻度が増えて行く、やがて道路は直線から網状に変形し、その網の目が次第に稠密になって、ついに蜘蛛の巣状になる。都市だ。ビルディングが見える。私は人間の歴史を学習している気になる。文明とは細い一本の道に始まり、やがて耕作地に至る。耕作地の周辺に人家が現れ、それが密集して都市を作る。なんと面白いパノラマであることか。私はこの旅がただこのフライトだけで終るとしても、もう十分に満足だった。それにしても不承不承出発した自分を顧みて、いや、自分なんてちっぽけなものを振り返るのはよそう。ここはヨーロッパ、私は断固前だけを見て旅を続けることにした。

3、ライン川(写真はライン川の古城)
 フランクフルトからライン河クルージングしてライン河畔の古城群を見る。ほとんどが廃城であろうがレンガを積み上げて作った古城が次から次へと現れる。どうしてこんなに城だらけなのか理解に苦しむ。極小の封建領主が割拠していたのであろうか。それにしても多過ぎはしないか。この頃からドイツ人は誰も彼も城を築きたがったのではなかろうか。その城へのこだわりが遺伝子の中に組み込まれて、ドイツ人の一際目立つ家への執着となって現代まで伝わったのではあるまいか。その城を石で築いたため、全て残ってしまったのだ。一三世紀にドイツ皇帝が滞在したといわれるラインシュタイン城というのがあるから、ゲルマンの中世叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の時代、日本で言えば『平家物語』の時代なのだが、その頃の古城が残っているのだ。日本では源平時代の遺跡はほとんで残っていないのに、ゲルマンの石の遺跡はこうして確実に残っているのだ。ヨーロッパでは本当に幾度も石の文明の力を思い知らされた。

               次のページへ